リビングひろしま2013年3月2日号(電子新聞)広島で約20万部発行の地域生活情報紙
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〈11〉2013年3月2日(土) 広島市から1200㎞。バスで16時間もかかる福島県南相馬市。福島第一原発から10〜30㎞圏内に位置し、地震、津波、放射線の3重の苦しみを抱えています。市内の南部・小高地区は、今でも避難準備地域に指定され、立ち入りが制限されていて、暮らすことができません。市内では、津波や地震による瓦礫(がれき)の処理とあわせて、被災者の生活や心のケアにも重点を置いた〝生活復興のボランティア活動〞が行われています。““つながる、つながる、見守る、見守る、 気にかける気にかける””はは大切な支援大切な支援広島のボランティア組織に同行して、福島県南相馬市を取材❶ 現在、立ち入りが制限されている避難準備地域の小高地区。町中には人影が無く、復興を誓った看板が店先に置かれていました❷ お茶会サロンでは、ボランティアが交代して、2時間で40枚を焼きました❸ 今は、広大な干拓地のように見えますが、震災前の地図を見ると、海岸に沿って防風林の松林が連なり、工場や神社、公会堂がありました❹ 広島風のお好み焼きは、もちもちとしておいしいと好評でした❺ 広島の原爆被爆者から、ボランティアを通じて渡された励ましの手紙。被災者は、一文字ずつうなずきながら読んでいました 東日本大震災から2年がたち、私たちの記憶も風化しつつあります。そんな中、広島市被災者支援ボランティア本部では、毎月1回、福島県南相馬市を訪れ、復興支援のボランティアを行っています。編集部では、2月9日と10日、その活動に同行。現在の状況や被災者たちの心境を聞き、広島からできることを考えました。●●❶ ●●❷ ●●❺ ●●❸ ●●❹ 除染や堤防の復旧など、いつになれば昔のような普通の生活が取り戻せるのか、将来の生活プランが描けないことへのいらだちや、見えない放射線への不安など、被災者から多くの悩みを聞きました。では、広島で暮らす私たちは、何ができるでしょうか。 「広島はあまりにも遠いですよね。気にかけて、見守っていただくだけで心の支えとなります」と南相馬市社会福祉協議会の濱名智佳子さん(52歳)。こちらから発信する求めにすぐに応じてもらえるよう、つながりを持ち続けていたいです」とは、南相馬市災害復旧復興ボランティアセンター長の佐藤清彦さん(40歳)。 「何かしなければ…」と気負って取材をしましたが、〝心の復興〞は、義援金や物資の支援、瓦礫の処理のように、目に見えるものではないため、具体的な要望は聞けませんでした。「東北は我慢強い人が多いから…」とつぶやいたボランティアの声が忘れられません。まずは被災地と「つながる」「見守る」「気にかける」こと。そこから、広島に住む私たちにできることが見えてくるのではないでしょうか。(編集長・植木栄壮)「福島を忘れない」つながることの大切さ取材を終えて… 「広島から来ました。焼きたてのお好み焼きを食べにきてください」と、チラシともみじ饅頭(まんじゅう)を持って、ボランティアが仮設住宅を一軒ずつ回ります。開始時刻になると、会場の集会所はたくさんの人。4つのフライパンを使ってフル回転で焼いていきますが、追いつきません。自分で焼いてみたいと、作り方を教わる人もいて、会場は和やかなムードです。 このたび被災地を訪れたメンバーは、高校生4人、大学生7人を含めた総勢23人。「自分の目で確かめたい」と初めて参加した人や、「以前会った人が気になるから」と5回目の人もいました。 内容は、お好み焼きのほか、スタッフ個々の特技を生かしたお楽しみ会や、看護師による健康相談コーナーを開催。「遠いところを来てくれてありがとうね」「広島風を初めて食べたが、うめーよ」と方言も飛びかって、参加者の顔はみな笑みがこぼれていました。 平成23年9月からこのツアーを企画し、自らリーダーとして毎回参加している広島市ボランティア情報センター(広島市被災者支援ボランティア本部)所長の鈴川千賀子さん(55歳)は、「伝えることも大切な支援です。ここで見たことや感じたことを広島に帰って、多くの人に話してほしいです」と語ります。広島風お好み焼きで〝お茶会サロン〞を開催 今、南相馬市では、仮設住宅に約2770戸、7030人が暮らしています。同じ自治会の中には、放射線量が高くて帰宅できない人、津波で肉親を亡くした人、地震で家が倒壊した人などがいて、心の痛みはそれぞれ異なります。また、入居が抽選で決まるため、顔見知りや話し相手がいない人もいて、特に高齢者の孤立化や、住民自治の再構築など、仮設住宅が抱える問題が深刻です。 長沼西仮設住宅の自治会長・楽伸一郎さん(72歳)は、「住民の心を解きほぐすためにも、こちらに来ていただき、被災者の話を聞いていただけるだけでもうれしいです」と、お茶会サロンに大きな期待を寄せます。 仮設住宅に住む長坂順吉さん(62歳)と美紀さん(45歳)夫婦は、「遠くにいても、自分たちのことを気にかけてくれる人がいるのはうれしいこと。復興への力がわいてきます」と全国各地から寄せられた手紙を大事そうに見せてくれました。 牛河内第一仮設住宅の自治会長・荒清さん(66歳)は、「原爆と原発、同じ核による苦しみを持つ広島と福島だからこそ、こうして広島から来られたボランティアさんには、特別な思いがあります」と話します。 1年半にもわたって瓦礫の処理活動を続けた伏見友紀恵さん(23歳)は、「日本各地から駆けつけ、瓦礫の処理を手伝っていただいたことで、私たち被災者もここまで頑張れてこれたと思います。ただ、瓦礫の量が減っていくたび、見捨てられていくような気持ちになって…」と複雑な面持ちです。これからの課題は〝心の復興〞 活動先の福島県南相馬市へは、金曜の午後6時に広島駅北口を出発。つばめ交通のチャーターバスで現地へ。月曜午前8時に帰広。参加費は2万円。食事や飲み物、銭湯代など身の回りの費用は自分持ち。宿泊は仮設住宅の集会所(寝袋持参がベター)。 今後の〝お茶会サロン〟の問い合わせは、☎082(544)3399広島市被災者支援ボランティア本部へ。広島お茶会サロンについてひろしま避難者の会「アスチカ」代表 三浦綾さん 〝明日へすすむ力〟を育みたい―。そんな思いから、避難当事者による、ひろしま避難者の会『アスチカ』が結成されたのは、昨年10月でした。広島市社会福祉協議会などが定期的に開いていた被災者交流会が、2011年11月に終了。「震災から半年以上たっても避難されてくる方が絶えず、避難者同士がつながり、悩みや情報が共有できる〝よりどころ〟が必要なのではと考え、仲間と一緒に立ち上げました」と三浦さん。 周りに頼れる人がいない方も多く、避難生活には悩みや不安が尽きません。登録しただけで心が安らいだ、という声も聞かれ、今では約100世帯が登録しています。「広島には、まだたくさんの避難者がいます。広島の方々の支援をいただきながら、避難者自身が自立し、明日を生きるための力を育てていけたらと願っています」(取材/久保真理子)広島の人とつながり 〝明日へすすむ力〟を❶ 現在、立ち入りが制限されている避難準備地域の小高地区。町中には人影が無く、復興を誓った看板が店先に置かれていました❷ お茶会サロンでは、ボランティアが交代して、2時間で40枚を焼きました❸ 今は、広大な干拓地のように見えますが、震災前の地図を見ると、海岸に沿って防風林の松林が連なり、工場や神社、公会堂がありました❹ 広島風のお好み焼きは、もちもちとしておいしいと好評でした❺ 広島の原爆被爆者から、ボランティアを通じて渡された励ましの手紙。被災者は、一文字ずつうなずきながら読んでいました

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