リビングひろしま2014年4月5日号(電子新聞)広島で約20万部発行の地域生活情報紙
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〈13〉2014年4月5日(土)電子新聞版プロフィルやなぎたに・いくこ 作家長野県生まれ。姫路市在住。第14回大阪女性文芸賞、第3回小諸藤村文学賞を受賞。「月柱」(読売新聞社)、「望郷-姫路広畑俘虜収容所通譯日記」(鳥影社)など著書は多数。文芸同人誌「播火」編集長。「播磨の黒田武士顕彰会」理事。2009年に絵本「官兵衛さんの大きな夢」(神戸新聞総合出版センター)を出版。いよいよ大河ドラマ『軍師官兵衛』が始まりましたね。実質戦国時代を終わらせることとなった、つまり秀吉の天下取りを決定づけた、関東の雄、北条氏攻略において、秀吉が最後に頼ったのはやはり官兵衛でした。小田原城開城を促しに官兵衛が説得に赴く冒頭のシーンは、私たちを一挙に官兵衛に肉薄させましたよね。紋付白足袋素手にてと伝えられていますが、ドラマでは武具を一つずつはぎ取りながらという演出でした。手土産は酒樽二つと粕漬けのホウボウ10匹と、黒田家譜にあります。なかなか結論を出せない議論の様子を「小田原評定」っていうでしょ。早雲以来の北条氏の誇りにかけて、開城か城を枕に討ち死にかと決しかねたまま時ばかりがたった北条氏を語って、一般に流布した言葉なの。当然のことですが歴史っていろいろなところで今に生きているんですよね。また生かさなくちゃ。官兵衛の万吉時代を演じた子役、若山燿人(きらと)君、あっぱれあっぱれ。イメージ通りの万吉少年でした。初回だけで早くも成人してしまうなんてもったいない。回想シーンはあるのでしょうけれど。それにしてもあっという間に元服、衣冠束帯(いかんそくたい)に身を包み、キッと正面を見据えた青年官兵衛のりりしいこと。まなざしの涼しいこと。岡田准一という俳優の真骨頂を見た思いでした。重隆(しげたか)を父として職隆(もとたか)あり、職隆を父として官兵衛あり。まさに祖父重隆、父職隆の英知と人徳、誠実と決断力を重ね持った官兵衛ですが、そこに13歳で失う母の面影と愛が北極星のごどく行く手を照らします。「まっすぐに生きなさい」と。官兵衛が生涯にただひとり妻・光(てる)を愛しぬいたのは、もともと清潔な指向があった上に、彼女が母いわに似ていたからではないかしら。うれしくも官兵衛はマザコンだったのかも。(1月25日号掲載)大河ドラマの三回目で、官兵衛は初恋の幼なじみ・おたつを失いますね。おたつを呼ぶ官兵衛の絶叫が耳に付いています。実はこの姫君、名は不明。官兵衛の初恋の人というのもドラマ上のこと。室津・室山城の浦上氏と姫路は御着城の小寺氏との絆を確かにするために、小寺氏筆頭家老の職隆の養女として、つまり官兵衛の義姉として、浦上に嫁ぐのです。その婚礼の夜でした。ああ無残、無残。常に抗争を繰り返している龍野の赤松氏の夜襲に遭い、室山城は炎上します。谷崎潤一郎の『乱菊物語』がこの悲劇を下敷きにしているのをご存じの方も多いのではないかしら。それにね、浦上氏の悲劇が、遠くはあの「一枚、二枚……」と数える「お菊」の物語にも、小寺氏にも、ちょっぴり黒田氏にも、つながっているとしたらどうでしょう。『播州皿屋敷』は下剋上の時代、主君赤松義村を討って置塩城を乗っ取った執権・浦上村宗をモデルに作られた物語です。〈姫路城主・小寺則職の執権・青山鉄山が村宗と共謀、互いにお家乗っ取りをたくらみます。則職の忠臣・衣笠鞆負介(ゆきのすけ)は恋人お菊を鉄山の元へ住み込ませて探らせるうち、あのお皿の事件となるわけです。鉄山の腹心・町坪弾四郎のお菊への横恋慕や、則職の娘・白妙姫(しろたえひめ)と鉄山の息子・小五郎の恋などをちりばめて、やがて鉄山一味は滅ぼされる〉というもの。事実は小寺家に青山鉄山などの存在はなく、史実に重ねた虚実織り交ぜての物語の巧みなこと。黒田家は、祖父重隆が備前福岡(岡山県瀬戸内市)から姫路にやって来て小寺則職に引き立てられ、小寺の姓を与えられるところから始まるのでしたよね。(2月22日号掲載)官兵衛は(大河ドラマのように)あんなにいい男だったの?うーん、まあまあかしら。内緒のお話、官兵衛と光は蚤(のみ)の夫婦だったようですよ。官兵衛は当時としても小さい方。一方、光姫は臈長(ろうた)けて美しい方だったと、たった一行ですが黒田家譜にあります。早くも息子の松寿丸(後の長政)と養子分の又兵衛の微妙な競り合いが始まっていますね。その末に、関ヶ原で東軍(家康)につき大手柄を立てて52万石の大大名となる長政と、西軍(三成)について真田幸村とともに壮絶な戦死を遂げる後藤又兵衛の明暗があるともいえるのです。又兵衛は単に両親を亡くした孤児として登場しましたけれど、実は秀吉によって滅ぼされた春日山城主の子なのです。さていよいよ官兵衛と秀吉が肝胆相照らす仲となります。ここは重要ですからかなり丁寧に描かれました。私の見るところ、秀吉と官兵衛はその先見、軍略、交渉、人心の掌握において、まったく同じ才能と力量を持っています。だからこそ相手の考えていること、心が、読めてしまう不幸もあるのですが。それにしても竹中直人さん、秀吉ははまり役ですね。母里太兵衛や井上九郎右衛門が秀吉に家来にと望まれますが、官兵衛は断ります。その時の官兵衛の、いや岡田准一さんの目の動き、うまかったですねえ。下剋上の当時にあって、黒田家の主従親子兄弟の結束、絆の固さは天下一です。祖父重隆、父職隆、官兵衛と、3代にわたる徳育の見事な結果でもあるのですが、官兵衛は教育者としても文化人としても、またリーダーとしても、優れていたのです。(3月22日号掲載)官兵衛とともに(三)官兵衛とともに(二)官兵衛とともに(一)イラスト/川上真理子2014年「リビング姫路」で連載中

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