リビングひろしま2015年8月1日号(電子新聞)広島で約20万部発行の地域生活情報紙
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2015年8月1日1647号次回発行は8月22日です無料発行〒730-0017 広島市中区鉄砲町5-16サンケイビル4階☎082(511)7700  082(511)7705  h-living@hliving.jpホームページ「リビングひろしま.com」 http://www.livinghiroshima.com/【金子さん】私は18歳のときに広島に来て、約50年暮らしています。広島市観光ボランティアガイドになったのは平成16年。たくさんの方を案内してきましたが、3年前にノルウェーから来た男性兄弟の言葉が心に残っています。「平和公園の下に亡くなった人が眠っていると言われても分からない。原爆ドームだけじゃなく、目に見える物が残っていないと、人は忘れて同じことを繰り返す」と。そのお二人は湾岸戦争を体験し、戦争の苦しみをご存じでした。復興した姿を見せることも大切ですが、「忘れてはならないもの」を遺すことも大切だと思い知らされました。 私が遺してほしいと願うものは、被爆3日後には運転を再開した電車、翌年2月に営業を再開した百貨店の福屋、現在は広島アンデルセンとして長年守られてきた、当時の帝国銀行広島支店(一部を除いて建て替えが決定)。どれも被爆や終戦直後に営業を再開し、広島の復興のシンボルになったものです。後世に遺してほしいですね。【久保田さん】広島東照宮はかつて、広島藩が管理していました。明治の終わりごろには、本殿明治の終わりごろには本殿や拝殿などがかなり傷んでいたようですが、久保田家が受け継ぎ、広島の財界に呼び掛けて大修理を行い、元の姿に戻りました。その後、国の重要文化財登録に向けた調査が行われていたときに原爆が投下されました。檜皮(ひわだ)ぶきの屋根だった本殿と拝殿は燃えやすかったので消失してしまい、燃えにくい瓦ぶき屋根だった唐門などは爆風に耐えて残りました。 私の祖父は現在83歳で、原爆が投下されたときは農村動員で八本松(現東広島市)にいました。そこからでも閃光(せんこう)が見え、2、3日後には広島に戻ったようです。その後、本殿や拝殿を順次再建してきました。修復や再建して守ってきたこれらの中には、「大切な思い」もあります。それを途絶えないように引き継いでいきたいですね。広島東照宮権禰宜の久保田峻司さん(写真上)今も現役の被爆電車。(写真左)福屋八丁堀本店。(写真下)広島アンデルセン広島東広島東広島東広島東島東島東島東島東島東東広島東島広島東島東広島東広島東照宮の照宮の照宮の宮の照宮の照宮の照宮の照宮照照照宮の照照照照照照唐門と唐門と唐門と唐門と唐門と唐門と唐門と唐門と唐門と唐門と唐門と唐門とと唐門とと唐翼廊(翼廊(翼廊(翼廊(廊翼廊(翼廊(翼廊(翼廊(翼廊翼廊(翼廊翼廊翼廊翼廊翼廊廊いいずれいずれいずれいずれいずれいずれいずれいずれずいずれずれいずれいずれいずれいずれいも被爆も被爆も被爆も被爆も被爆も被爆も被爆も被爆も被爆も被爆も被爆も被爆爆も被爆もも被建物)建物)建物)建物)建物)建物建物建物建物)建物)建物)物)建物建物)建続きは2面へ広島市観光ボランティアガイド協会会長の金子貴佐子さん広島市観光ボランティアガイド被爆3日後には再開した終戦翌年2月に再開した百貨店爆3日後には再開し爆3日後には再開し被爆3日後には再開した長年守られてきた建物銀 行爆3日後には再開3日後には再開被爆3日後には再開した爆風に耐えた広島東照宮唐門被爆3日後には再開した被爆3日後には再開した被爆70年被爆3日後には再開した被爆3日後には再開した電 車3日後には再開3日後には再開 一瞬にして町が消えた昭和20年8月6日。あれから70年がたち、広島は見事に復興しています。でも被爆建物は老朽化が進んで維持などの問題があり、生存する被爆者も少なくなりました。戦争や原爆のことを伝えるには、後世に遺(のこ)すことが大切。そこで、広島の街や建物に思い入れが強い方々に話を伺いました。 (ライター/髙山由美子)遺し、引き継ぎたい★今号は、被爆70年を考える…1〜2面、8〜9面、月刊大人クラブ…5面、おしゃれな暮らしを提案HIROSHIMAスタイル…7面 平素より「リビングひろしま」をご愛読いただきありがとうございます。8月8日、8月15日付号は休刊とさせていただきます。次回の発行は、8月22日号《20日(木)、21日(金)配布》となります。広島リビング新聞社休刊のお知らせ

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